ALSと青森で自由に生きる。

難病ALSになった30代女性が、地元青森県で自由に生きるための試行錯誤と実践を記す。制度等はあくまでも青森県の場合です。

確定診断前の自分へ

切ったぎって水さ浸けでら豆苗、おがってらおん(ちょん切って水に浸けてる豆苗、育ってるわよ)

 

三年前の今頃はALSかそうじゃないのか疑い診断の真っ只中でした。

病院受診の日は、今日こそ違う病気だと診断されると信じて、その都度玉砕。

不安になることもあったけど、他にやらなきゃならない事も多かったし、適度に病気から目を逸らせていたと思います。

でももっとこうしてたら良かったな~って思うことも…

三年たって冷静に過去を見つめられるようになった今、あの頃の自分に言いたいことがいくつかあります。

 

仕事を頑張って良かったぞ

忙し過ぎな時期だっただけに病気に気持ちが持って行かれなかった。

それに残念だが次の年の同じ頃は働ける状態じゃなかった。

悔いを残さず働いて良かった。

 

書け、作れ、踊れ、歌え

少しずつ手先も動かしにくい、脚もなんか違和感。

でも動いてたじゃん。

自分の文字で手紙や想いをしたためておけば良かった。

ハマってたアクセサリー作りをもっと極めれば良かった。

ヘトヘトになるまで踊れば良かった。

何もなくても歌えば良かった。

出来なくなると余計に思う。

 

いる、いらないを整理しろ

動けるうちにやらないと大変。

未だに片付けられてないぞ。

家の中のモノもそうだけど、実家関係、保険、金融関係、各種契約…

捨てるのか、ずっと保存なのか、今は使わないけど使うとき用に手順メモを残すのか。

自分がやれれば一瞬です。

そうじゃないと世の中なかなか面倒。

 

ネットで調べてもどうにもならん

症状とか経過とか違う病気とか、調べたところで不安になるだけだったよ。

素人には判断できない。

治療法も特にない。

検査入院までは結局何も分からなかったよ。

動ける時間がもったいない。

もしかしたら一時的なものかもくらいに思って、もっと好きなことしたら良かった。

 

たくさん食べ歩いて良かったね

美味しい思い出は舌が覚えてる。

市内のラーメン屋、ほとんど行った?!

今は病気のせいだけでなく、年齢的にもこってり系は無理。

食べ歩きに付き合ってくれた彼に感謝。

良い思い出。

 

 

そして何よりも

大丈夫、三年後も周りに支えてもらいながら、笑って生きてる!