ALSと青森で自由に生きる。

難病ALSになった30代女性が、地元青森県で自由に生きるための試行錯誤と実践を記す。制度等はあくまでも青森県の場合です。

検査入院を思い出してみる

お彼岸ですね。

みなさん墓参りはしましたか?

私はしばらく行けていません。

しかしお墓でなくても亡くなった方を想って手を合わせることに意義があると、先日どこかで拝見しました。

なので、合掌。

お母さん、今年も娘は生きています。健康じゃないけど。

どうも、もっちーです。

 

春彼岸というと、ソワソワしてしまいます。

なぜかというと...

というわけです。

当時のことも落ち着いて振り返ることが出来るようになったし、思い出したついでにせっかくなので検査入院のあれこれを語ろうと思います。

注)4年前のことを思い出しながら書くので記憶が怪しいところがあります。ふわっとした言い回し多めです。悪しからず。

 

検査入院に至るまで

詳しい通院歴は過去記事を読んでいただきたいのですが↓↓↓

motchyals.hatenablog.com

近所の脳神経クリニック→市内の総合病院→県の総合病院...と紹介状を持たされてさまようこと4か月。

3件目の県の病院でも、ひとまず年齢的にも家族の病歴的にもALSは考えにくいのでもう一度調べさせてくれとのことで、前の病院で撮っていなかった部位のMRIや針筋電図の検査を通院で行っていましたが...

2017年12月、検査入院でじっくり調べましょうと主治医に勧められました。

ご存じの方が多いと思いますが、私の前職は教師でして。

そのときの私は高校3年生の担任で進路指導真っただ中という状況!

自分の症状も気になるところだけど、クラスの30数名の未来が変わってしまうかもしれないその時期に職場を投げ出すことは出来ず、先生に恐る恐る尋ねたのです。

入院、3月でいいですか...?

すると先生はあっさり許可。

ちょうどその頃になるかもね、と。

すぐに入院できないくらい入院待ちの方がいることを教えてくれました。

私でなんと7番目。

県イチの総合病院だとそうなのか、私と同じように神経内科の病気なのか?と人生の岐路に立たされている人がたくさんいるんだなと考えたのを覚えています。

 

そして3月。

無事に生徒が卒業し、気にかけていた最後の生徒の進路が決まってホッとしていた頃に病院から連絡が入りました。

春休みとともに私の入院スタート。我ながらタイミングが良いなと思います。

 

入院ではどんな検査をしたか

入院は約20日間でした。

検査がぎっしり詰まっているかと思いきやそうでもなく、なかなかに暇な日もありましたね。

ALSと診断するためには、似たような病気の可能性がないか全て検査して除外していきます。

私もありとあらゆる検査を受けました。

とは言っても何の病気の検査なのかわからずされるがままでしたが。

MRIは首の角度を変えて撮るとかで、えげつない角度に曲げられたり。

CTのアトラクション感に驚いたり。

電流流す方の筋電図は受けるたびに、これだけ機械化してなくてアナログなのはなぜだろうと不思議だった。

針筋電図ではどうやっても背中の安静時がとれなくて先生を困らせたり。だって痛いんだもん。

心電図もとりましたし、毎朝尿検査もしました。

肺活量検査もやったけど、技師さん、なんであんなにハイテンションなのかしら。

あとは忘れちゃいけない腰椎穿刺!

麻酔使ってるはずなのに痛すぎて涙が出たよ。

覚えているだけでこの位。

 

検査のたびに、今日は何か見つかるかもと期待しては玉砕し、どんどんALSが迫ってくるようで嫌だったな。

ま、診断されたわけではないからまだ望みはある!って思いも強かったから泣いたり悲観的にはならなかったけどね。

 

入院中のびっくり体験

このときの入院が私にとっては人生初の入院でした。

見るものすることすべてが初めての入院生活。

ときにはビックリしちゃうようなこともありました...

  • 早朝、病室に響き渡るラジオの音

4人部屋だったのですが、毎朝イヤホンをせず結構な音量でラジオを流す方がいて、私としては、うるさいとかマナーが云々と考えるよりもまず、本当にこういう人っているんだ!と驚きました。

あ、毎朝看護師さんに注意されてましたよ。

それでもやめないゴーイングマイウェイな態度には少し感心しました。

  • にんじん三昧

別の患者さんがある日ぼそっと呟いたのです。

毎食にんじん入ってるよね...

そう聞いたら気になって気になって仕方ないですよね笑

その日から食事が配膳されたらまずにんじんを探すのがルーティンになりました。

雨の日も晴れの日も病める日も健やかなる日も確かにそこにいるにんじんさん。。。

退院後しばらくにんじん嫌いになったのは言うまでもない。

  • お隣さん、脅かさないで

神経内科で扱う病気は多岐にわたります。認知症もそうです。

退院直前に私の隣に入った方は夜間に症状が強くなる方で、見えないものが見えたりしていたようです。

そりゃあオバケ見えたら怖いよね。叫びたくなるよね。

でも毎晩不意打ちでカーテン越しに叫ばれるのは心臓に悪かったし、病院でオバケってちょっと無きにしも非ずだからその意味でも怖かったよ。

その後、適切な治療がされて穏やかに暮らしてるといいなぁ。

  • 切り取りやすい醤油パウチ

バリアフリーユニバーサルデザインに興味を持つきっかけになったのもこの入院。

ご飯についてきた醤油のパウチがめちゃくちゃ切り取りやすくできていたんです。

思わずどこの会社が作っているのか調べちゃったくらい、衝撃を受けました。

そしてこのタイプの開けやすい醤油を採用しているあたりが、さすが県イチの病院だなと思いました。

 

最強サポーターな父

病院は住んでいる街からは遠かったのですが、実家からは目と鼻の先の距離でした。

退職して時間を持て余している&娘ラブなうちの父は毎日様子を見に来ていました。

今日のにんじんはなんだべな~笑

お昼時に来るので父にとってもにんじん探しは日課

必要なものがないかと毎日尋ね、あれば次の日持ってきてくれる。

ドリップコーヒーが飲みたいけど袋が開けられないんだよねって話したら、次の日には外袋を外してキレイにジップロックに詰められたドリップコーヒーが届いた。

老眼鏡かけて、ちまちま作業してくれている姿が容易に想像できて、泣けた。

歯磨き粉が出しにくいと言えば、ナースステーションに輪ゴムを貰いに行き、上手くチューブを折って留めてくれた。

親孝行なーんもしてないのに、まだ世話させちゃって、心配かけちゃって申し訳ない気持ちでいっぱいだったなあ。

退院したらせめて美味しいものくらいはごちそうしよう!と思ってたけど、まさか今度は父が倒れて同じ病棟でお世話になるとはね。

このときは想像もしていなかったです。

みなさん、親孝行に早すぎることはないですよ。

親も自分も元気なうちに、です。

 

あると便利なもの

入院中、あって便利だったものはWi-Fi環境とスマホ

4年前なので5Gとかそんなものはなく、自分のスマホとレンタルのポケットWi-Fiを持ち込んだのですが、なかったら退屈だったろうなと思います。

検査がない時間はYouTubeやネットサーフィン、当時流行りだしていた読み放題のサブスクに登録して、気になっていた漫画をここぞとばかりに読んでいましたね。

あー、今振り返ればこの頃から絵を描いていればよかった...

入院生活のお供にスマホタブレットは欠かせませんね。

 

確定診断とその後

一通りの検査を終えて、入院最終日に主治医からALSだと告げられました。

詳しくはこちらの記事をご覧ください↓↓↓

motchyals.hatenablog.com

診断後の話を少しします。

私は主治医からセカンドオピニオンを勧められました。

チームで出した結論なので診断に自信がないわけではないんだけど、という前置きをされた上で、大学病院に行ってみてはどうかという提案でした。

やはり年齢が気にかかるようでした。

私も父も可能性が少しでもあるのならという意見で、その場で紹介状をお願いしました。

セカンドオピニオン外来と通常の神経内科と2つの選択肢が提示されたのですが、どうしても納得がいかなかったので再検査入院ができるように通常の紹介で行くことにしました。

紹介先の予約を職員さんが取ってくれ(まさかの翌週取れたw)、泣きながら荷物をまとめて即日退院しました。

またもやナイスタイミングというか、スムーズな流れはまさにALS行きの特急列車のようですね。

で、翌週には大学病院で初診だったわけですが...これは今になってみるとミスチョイスでした。

直後に父が倒れてその介護やら何やらで入院が遅くなり、せっかく受けられたはずの治験が症状が進んだことで受けられなくなったので。

サクッとセカンドオピニオン外来で結論を出してもらって次に進めば。

後悔先に立たず。

 

その後は先程リンク貼った過去記事の通り、大学病院でも確定診断がなされたわけです。

 

 

なんか尻切れトンボになりましたが、4年前の検査入院記は以上。

いや。

一つ思い出した。

泣きながら退院の準備してたら、向かいのベッドのおばあちゃんが心配して小さなメモをくれたんだよ。

丁寧な字で書かれたお経のワンフレーズ。

「おらも辛いときはこれを唱えてご先祖様に手を合わせでるのさ」

うちとは宗派が違うものだったけど、最高に想いのこもった励まし、嬉しかったな。

 

そうか、お彼岸と聞くと病院を思い出すのはこれもあったからか。

 

せば。