ALSと青森で自由に生きる。

難病ALSになった30代女性が、地元青森県で自由に生きるための試行錯誤と実践を記す。制度等はあくまでも青森県の場合です。

確定診断ってこんな感じです

まめしくちゃーが?(お元気ですか?)

どうも、もっちーです。

 


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私は3年前の4月に初めて確定診断を受けました。

通院で出来る検査と経過観察を続けていましたが、いよいよALSの可能性が濃厚となり、検査入院(※)を2018年3月から4月初旬にかけてしました。

そして8月、セカンドオピニオンとしてさらに大きな病院でも検査入院をし、二度目の確定診断をされました。

(※ALSは「この症状や検査結果があるからALSだ」とは診断できず、似たような疾患の可能性が全てないことを検査して確認する必要があります。そのための入院です。)

様々な検査をしたけども、残念ながら望んだ結果は得られず。

主治医から宣告されたのでした。

 

今日はその確定診断の瞬間ってこんな感じでしたよっていうお話です。

 

一度目の確定診断

県内でも大きい総合病院にて。

各種検査に二週間ちょっと。

全ての検査や医師のカンファレンスっていうの?が終了したあと、主治医が病室を訪ねてきて、家族を呼ぶように言われる。

まぁ検査結果で引っかかるものもなかったし、親を呼ばれたこの段階で察するよね。

次の日、父と2人で主治医から説明を受ける。

 

若い(当時34歳)し、違う病気の可能性もありそうだったので、いろいろな検査をしたが何も見つからなかった。

今のあなたの症状と経過から説明がつくのはALSです。

 

告げられたとき、私の頭の中にどんな言葉が湧いたと思う?

 

「人生詰んだ」です。

 

実にシンプル。軽い?重い?しかしこれがリアル。

父はどこまでわかってるんだかわかってないんだか、何も言わなかった。

その後はざっくりとしたALSについての話と、専門外来のある県外の病院にセカンドオピニオンも兼ねて転院する話と、退院の話で終了。

その場では泣かなかったです。

というか、自分がしっかりしていないと!って気持ちでいっぱいで、泣く余裕がなかった。

病室戻って一人になったら泣けたけどね。看護師さんも引くくらい、同室のおばあちゃんも貰い泣きするくらい泣いたね。

 

これが一度目の確定診断のときの話。

 

二度目の確定診断

県外のALS専門外来がある大学病院にて。

一度目の確定診断のあと、すぐ紹介状を書いてもらい、運良く次の週に外来の予約が取れた。

初めての外来で、前の病院の検査結果を見た先生に「だいぶ丁寧に調べてくれてるから確定だと思うけども…」と軽くジャブを入れられつつも、再度検査入院の予約をゲット。

進行はしてしまうだろうが、仕事の閑散期である8月に入院する事に。

(今思えばこの先延ばしは失敗だったと後悔している。この辺の話はまた今度。)

 

8月の検査入院は約10日。

前回同様にあらゆる検査に加えて、大学病院なので学生さんや研修医の練習台と言わんばかりの反射検査&筋電図検査(笑)

で、診断。

集まったのは私と同居人(父は入院中)、入院中の主治医たち、専門外来の先生、担当の看護師さんたち。結構大勢でした。

丁寧に行った検査とその結果の説明がされると同時に、主治医がその要点を紙に書いていく。

これは異常なし、あれも異常なし、針筋電図では異常あり、筋萎縮も認められる…などなど。

絶望へのカウントダウンのようだった。

そして。

 

総合的に判断して、ALSです。

 

泣いた。今回は泣いた。わかっていたのに泣いた。

誤診だったという微かな希望が見事なまでに打ち砕かれた。

私の未来が消えた。

この時はこう思っていたな…懐かしいな。

で、泣きながら退院して、泣きながら牛タン食べて帰宅。

 

これが二度目の確定診断。

病院ごとに告知の仕方が全然違うもんですね。

以上、桜の便りを聞けば思い出す、私の確定診断のときの話でした。

悲しくなる話でしたが、最後まで読んでくれてありがとうございます。

へば。