ALSと青森で自由に生きる。

難病ALSになった30代女性が、地元青森県で自由に生きるための試行錯誤と実践を記す。制度等はあくまでも青森県の場合です。

動かせない手と「手が使えたら」の妄想

どうも、もっちーです。

今日は病気になってから毎日毎日考えてしまう手のことを嘆かせてください。

普段あまり書かないような気持ちの話なので、うまくまとまらないと思いますがよろしければ。

 

私のALSの症状は、利き手の小指の動きにくさから始まりました。

異変に気づいてから両手が今の状態...介助なしで自分の力だけで手を使って何かするということができない状態になるまでの過程は次の通りです。

 

ピースがしにくい

→ 小指だけ離れてくっつけられない

→ お箸が上手く使えない 

→ 筆圧弱くなった 

→ 細かい作業が上手くできない

→ 握力弱くなった

→ 親指の付け根(母指球)がやせてると気づく

→ 研いだ米の入ったボールをひっくり返す ※ここで初めて病院受診

→ 文字を書くのが苦痛

→ 箸が使えない

→ パソコンのキーボード、左側が打てない

→ シャンプーに力入らない

→ 利き手変更 ※この辺で確定診断

→ 着替えがしにくい

→ 物をしっかり握れない

→ 腕を上にあげるのが大変

→ 荷物を腕にかけて持つのも大変

→ スマホを持てない

→ (反対の手指もおかしくなり始める、同じように進行)

→ 握力計測不能 ※この辺で身障手帳取る

→ 腕が上がらず自分で手すりに摑まれない

→ 気づいたら親指さっぱり動かない

→ 手首返せない、手を持ち上げられない、腕が前に出ない

→→ 両手とも上の状態になったところで、生命保険の高度障害認定=全廃状態

 

始めの症状の自覚から病院に行くまでが一年、次の確定診断までが8か月、手帳取るまでがさらに8か月、そこからは利き手をあまり使わなかったのが良かったのか?(いや、動いてないから良くはないけど)とてもとても緩やかに進行したように思います。

頑張って使っていたもう片方の手も残念ながらしっかり進行し、今では利き手と同じ状態になってしまいました。

両手とも全廃と認定されたのが今年の夏なので、トータルで5年です。

 

5年かけてじわじわと、私の手は自由を奪われました。

 

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以前描いた絵です。

どこか一つだけ治るなら、私は間違いなく利き手です。

病気になる前の私の趣味はアクセサリー作りや手芸、ネイルアートでした。

他にも文字を書くのも、お化粧も、運転も、大好きでした。

仕事ではパソコンも使うし、書類も書くし、授業では生徒の前でお手本をやってみせる必要がありました。

自分で言うのもなんですがとても器用になんでも出来ました。

それなのに、病気は私から手の自由を奪いました。

しかも利き手から。

 

月ごとに酷く汚くなっていく手帳の文字。

箸がだめならと使っていたスプーンの重さ。

工夫して料理を作って、盛り付けようと思っても持てない小鍋。

磨けない歯、きちんと上げられないズボン。

どんどん出来ないことが増えていく。

得意だったことから出来なくなっていく。

違う方法を探して出来ても、それもすぐ出来なくなってしまう。

悲しいだけでは表現しきれない。無力で、悔しくて、もどかしくて、たくさん泣いてきました。

いや、今もそうです。

明るくふるまっていても、ふとした瞬間に何もできない自分の惨めさを思い出し、声を出して泣くこともあるんですよ。

 

さっぱり動かなくなった手を見てしみじみ思うのは、

私の自由は器用な手の上に成り立っていたのだ。

ということです。

もう一つ思うのは、障害者手帳を取得するあたりまでの自分への後悔。

「しにくい」だけで、時間をかけたり工夫すればいろいろできたのに、なぜ挑戦しなかったのか。

上手くできない自分を認めることになるので、好きだったことから離れてしまったのですが、今となってはいらないプライドなんてさっさと捨てて、泣きながらでもへたくそでも何でもやればよかったなと。

全然できてたじゃん、自分。「しにくい」って、できてるからそう思うんだよ。

 

手が治るということは、私にとって再び自由を手にするということ。

全身を治してくれなんて、そんな贅沢は言わない。

せめて利き手の1本だけよくならないかなぁ、とよく思います。

もちろん非現実的なのはわかっていますが、きっとALSでも他の病気でも怪我でも、身体が動かない状態の人なら必ず考えることなのでは?

 

もし利き手が治れば、の妄想。こんなことを考えてます。

食事を自分で用意して、食べたいときに食べられる。

身体が痒ければかけるし、足が浮腫んでいてもケアできる。

電動車いすを操作して家の中はもちろん、外でも行きたいところに行けるし、見たいものが見れる。

買い物や通院時の支払い、ATMとかお金の管理も内緒にできる。

字が書けるから、書類の代筆なんていらない。

寝返りして布団が絡まっても、自分で直せる。

スマホやパソコンが使えるから、何か仕事ができるかもしれない。

好きだったネイルは無理でも、手芸は工夫すればできるし、化粧なんて余裕でできる。

「あれ」とか「そっち」とか指で示せる。

愛犬を撫でて、抱っこして、ごはんもあげれるし、うんちも取れる。

彼にもう一度手料理を振舞える。クリスマスのミートローフ、作りたいな。

 

自由だなぁ。本当に。

こんな妄想をすればするほど、思い描く自由な姿の真逆にいる自分を思い知って、厳しい現実にへこむのですが...

そんなこと考えてないで今できることをしようよ、という意見はわかるし、きっともう少し身体が動かなくなった時には、さっき書いた後悔を同じようにするんだと思う。

でもこんな病気です、少しくらい現実逃避しても良いでしょう?

 

はぁ、手が使えたらなぁ。